『気のせい』を『気がする』に
最近やたらとゾロ目を見かける
何気なく見た時計が 1:11 だったり
メールを送った時間が 5:55 だったり
忘れていたのに
令和3年3月3日に 3:33 を見たり……
それでいいよ と後押しされている気がする
ふと 神様を思い出すことがある
そんなことは たまにしかない
呼ばれていると感じて お参りすると
温かく励まされて 泣けてしまったり
心の傷を癒していただいたり……
いつも見守って優しくしていただいている
そんな風に感じている
☆
昔は『気のせい』だと思っていた
感じただけのことを信じるのが怖かった
「これはきっと自分の思い込み」
そんな風に否定して 考えたことを選んできた
本当に何気ないことだから
否定する方が簡単だった
いつもは気にとめないことが ふいに気になる
きっかけもなく 忘れていたものを思い出す
例えば 亡くなった親戚をふと思い出したり
眠っているパワーストーンを突然思い出したり
感じる友人に聞いて 一つ一つ確認してみると
そういったものには 全部意味があった
『気がする』を 少しずつ信じてみた
少し信じたら 何だかわかりやすくなってきた
長い間続けたら だんだんはっきりしてきた
いつの間にか 感じて過ごすのが日常になった
☆
「○○ってどうしてなんだろう……」
そんなことを思いながら
ぼうっと何かをしていると
答えがふっと浮かんでくる
今までは知らなかったはずのことで
考えて出した結論でもない
それなのに
昔から知っていたことを思い出すような
当たり前のことに気づくような
不思議に確信を持ててしまうもので
自分でも戸惑うけれど 疑うことができない
どこかから降りてくる感じがする
第六感とも言うべきもの
今は自分にとって 五感と同じように
疑いようのない感覚になった
☆
『気がする』は
微かだけれど 大事なサイン
根拠はないかもしれないけれど
感じた理由だって ないとは言いきれない
自分が感じたことだから
感じなかったことにするのは 苦しい
『ある』ものを『ない』ものにはできない
『気のせい』は
自分を否定して 嘘をつくこと
『気がする』は
自分を認めて 大事にすること
ほんの小さなことでも 信じてみたら
世界が少しずつ 開けていくかもしれない……